長徳寺について

ABOUT CHOTOKUJI

寺院名

雙松山 長德寺

宗派

真宗大谷派(東本願寺)

住職

仁科 洸
(第21世住職 法名 釋洸乗)

所在地

京都市上京区西洞院上長者町上がる
菊屋町255番地

連絡先

075-441-5010

令和の現代社会は、便利さや豊かさの陰で、多くの課題を抱えています。
経済成長の代償として、環境問題や格差の拡大、人と人とのつながりの希薄化が進み、争いや孤独、憎しみといった感情が、私たちの日常の中にも見え隠れするようになりました。

こうした時代にあって、私たちが抱える苦悩や課題を照らし出し、その在り方を問い直す働きこそが、仏教の教えであるといえるでしょう。
そして、その仏教の教えに触れるもっとも身近な場が、「お寺」であり「仏事」ではないでしょうか。

仏事は、亡き人との別れを通して、無常のいのちを受けとめ、自らの生き方を見つめ直す大切な機縁です。
そこには、仏の教えにふれ、互いに傷つけ合う在り方を超えて、人と人とが共に生きていくための智慧が息づいています。

しかし近年、そうした営みも次第に簡略化され、かけがえのない関係性や、気づきの機会が失われつつあるように感じられます。
それでもなお、「大切な方のいのちのご縁を通して、仏の智慧に触れる」ことの意義は、決して失われるものではありません。

長徳寺は、仏事を通して亡き人を仏さまとして敬い、そのお心を共に訪ねていく中で、真に生きる道を見いだしていくことのできる場であり続けたいと願っています。

長徳寺は、天正4年(1576年)の石山合戦において、本願寺に立て籠もった浄立の功績をたたえ、「長徳寺」の号が贈られたことに始まります。
その後、弟の玄智により天正17年(1589年)、洛陽烏丸頭・相国寺西門前町二本松(現在の同志社大学付近、旧薩摩藩邸跡あたり)に寺地を得て、寺堂が建立されました。
しかし、延宝3年(1675年)の大火により伽藍を焼失。元禄6年(1693年)に本堂・庫裏が再建されましたが、天明8年(1788年)の京都大火により再び被災しました。同年中に仮堂を建て、復興が進められ、文化3年(1806年)に本堂が再建されました。この建物は、修繕を重ねながら平成14年(2002年)まで使用されました。
安政6年(1859年)には、山号「雙松山」を厳如上人より拝受。
文久2年(1862年)には薩摩藩の土地買収により、現在地へと移転いたしました。
以後、明治12年(1879年)に鐘楼を建立、大正3年(1914年)には第十七世・津梁師が、当寺出身の茶人・山田宗徧を追慕し、山内に茶亭「如箭庵(じょせんあん)」を建立。
大正15年(1926年)には、京都・円町にあった栄正寺が姉妹寺となりました。
そして平成5年(1993年)には、長徳寺と栄正寺の堂宇を統合し、現在の場所にて再建を行い、今日に至ります。